「AI人材」という言葉の正体
「AI人材を募集しています」という求人を見るたびに、何を求めているのかわからなくなります。
Java経験5年、AWS認定資格保持者、TOEIC 800点以上。こういう条件なら意味がわかる。測定可能で、検証可能で、本人の努力と結果が対応している。でも「AI人材」は違う。何をもってAI人材とするのか、誰も明確に答えられません。
自分はIT業界で長くやってきて、DX推進だのAI活用だのと言われる案件にも関わってきました。その中で採用面接にも立ち会ったことがある。「AI人材を採りたい」と言われるたびに、何を基準に判断すればいいのかわかりませんでした。同じことを思っていた人は少なくないはずです。
経験年数が意味をなさない領域
従来のIT技術には「経験年数」という信頼できる指標がありました。Javaを5年やっていれば、少なくともJavaの基本的な設計やトラブルシューティングはできる。データベース設計を10年やっていれば、正規化もインデックス設計も手が動く。経験が蓄積として機能する世界でした。
AIはそうじゃない。3年前にGPT-3のプロンプトエンジニアリングを極めた人がいたとして、その知識は今どれほど役に立つか。役に立たないどころか、古いやり方に固執する分だけマイナスになることすらある。そういう世界です。去年のベストプラクティスが今年のアンチパターンになる。
これは単に「技術の進化が速い」という話ではありません。根本的に、経験の積み上げがスキルの証明にならないということ。10年選手だろうが半年の新人だろうが、先週リリースされた新しいモデルの前では同じスタートラインに立たされます。
差がつくのは「即応力」で、それはほぼ生まれつき
じゃあAIの領域で実際に差がつくのは何か。自分が見てきた限り、それは「即応力」としか呼べないものでした。
新しいツールが出たときに、すぐ触る。触って理解する。理解したら自分の仕事に組み込む。このサイクルを自然にやれる人間と、やれない人間がいる。そしてこの差は、研修で埋まるようなものではありませんでした。
即応力が高い人間には共通点があります。好奇心が異常に強い。新しいものに対する心理的抵抗がほぼゼロ。そして、何かを試して失敗しても気にしない。これは性格特性に近いもので、「3ヶ月の研修で身につけましょう」という話にはなりません。
「AI人材を育てる」という言葉をよく聞きますが、育てられるのは「AIツールの基本操作ができる人」であって、AIの変化に即応して価値を出し続けられる人間ではない。操作を覚えることと、変化に対応し続けることは全く別の能力です。
「育成」という幻想
企業がAI人材育成プログラムに予算を投じています。eラーニングでプロンプトの書き方を教え、ハンズオンでChatGPTの使い方を体験させ、修了証を出す。それで「AI人材が育った」ことになる。
でも冷静に考えてみてください。そのプログラムで教えた内容は、半年後も有効か。教材に書かれたプロンプトのテクニックは、モデルが更新されたら通用しなくなるかもしれない。UIが変われば操作手順も変わる。研修で得た知識の賞味期限が、研修の実施サイクルより短い。これ、構造的に破綻してるんですよね。
Javaの研修なら話は別です。Javaの基本文法は20年前からほぼ変わっていません。オブジェクト指向の設計原則も同じ。研修で教えた内容が5年後も10年後も使える。だから「Java人材を育成する」は成立する。「AI人材を育成する」は成立しない。同じ「人材育成」という言葉を使っていますが、中身は全く違います。
DX人材の面接で感じていた違和感
数年前からDX推進の文脈で「デジタル人材」「AI人材」の採用に関わる機会がありました。面接で候補者と話すとき、何を聞けば能力を測れるのか、正直わかりませんでした。
「どんなAIツールを使っていますか」と聞いても、それは今日時点の話でしかない。「AIを使ってどんな成果を出しましたか」と聞いても、その成果はツールの性能に依存していて、本人の能力がどこまで寄与しているかが切り分けられないんですよね。
結局、面接で測れるのは「この人は変化に柔軟に対応できそうか」「新しいものを怖がらないか」という、極めて曖昧な印象でしかなかった。それはもう職務経歴書やスキルシートで判断できる世界ではありません。
同じことを感じていた面接官や採用担当者は多いはず。「AI人材が必要だ」と上から言われて、でも何を基準に選べばいいかわからない。それでも採用しなければいけないから、なんとなく「詳しそうな人」を選ぶ。この曖昧さは、そもそも「AI人材」という概念自体が定義不能だから生まれている。そういう話です。
定義できないものを定義できたふりをするコスト
問題は、定義できないものを定義できたふりで運用し続けていること。
「AI人材」という枠を作り、そこに予算をつけ、採用計画を立て、育成プログラムを組む。その全てが、実体のない概念の上に建てられている。砂の上の城です。
以前、AI人材のスキル定義が構造的に破綻する理由について書いたことがあります。あのときは運用ラボのような形で補完する方向性を示しましたが、今回はもっとストレートに言いたい。補完では足りない。そもそも定義できないものは定義できないんです。
経済産業省が出しているIT人材育成の政策資料にも「AI人材」という言葉が頻繁に登場します。IPA(情報処理推進機構)のITスキル標準でもデジタル人材のフレームワークが整備されている。ですが、フレームワークで定義できるのは「現時点でのスキルセット」であって、半年後の変化に対応できる能力ではありません。
これは受託型からラボ型への転換の話にも通じますが、人材の定義そのものが流動的である以上、固定的な枠組みで捉えようとすること自体が間違いです。
生まれてくるところからやり直させるのか
即応力は生まれつきに近いもの。好奇心の強さ、変化への耐性、失敗への鈍感さ。これらは幼少期の環境や気質に大きく依存します。大人になってから研修で変えられるものではない。
「AI人材を育てろ」と言うなら、極端な話、生まれてくるところからやり直させるのかという話になる。もちろんそれは不可能です。不可能なことを可能であるかのように語り続けるのは、単なるごまかしでしかありません。
じゃあどうすればいいのか。自分の答えは「AI人材」という概念を捨てること。代わりに、変化に強い人間を見つけて、その人間が自由に動ける環境を作る。育成するのではなく、発見する。定義するのではなく、観察する。
それは従来の人事制度からすれば異端かもしれません。でも、定義できないものを定義できたふりで回し続けるよりは、よほど誠実です。
AI人材という言葉がなくなる日が来るかどうかはわかりません。ただ、その言葉が使われるたびに、中身の空虚さは広がっていく。定義も育成もできないものを、いつまでごまかし続けるのか。そろそろ正直になってもいい頃です。
