ヨーロッパで、決済インフラの大きな転換点が訪れている。ECB(欧州中央銀行)のクリスティーヌ・ラガルド総裁が「欧州独自のデジタル決済システムが急務だ」と公に発言し、16の大手銀行が結集したEuropean Payments Initiative(EPI)が動き出した。その中核にあるのが、デジタルウォレット「Wero」だ。
Wero 欧州決済の背景にある「見えない依存」
日常のカード決済やスマホ決済で、取引データがどこに流れているか意識する人は少ない。しかし実際には、ヨーロッパの決済の大半がVisa、Mastercard、PayPal、Alipayといった非ヨーロッパ企業のインフラを経由している。一方で、VisaとMastercardが年間で処理する取引額は約24兆ドル(約3,600兆円)に達する。つまり、ヨーロッパ市民の購買データは日常的にEU域外へ流出していることになる。
ラガルド総裁はアイルランドのラジオ番組で「カードを使おうが、スマホを使おうが、結局はVisa、Mastercard、PayPal、Alipayを通る。どれもアメリカか中国の企業だ」と指摘した。番組の司会者が「そんなこと知らなかった」と驚いたように、多くの消費者がこの構造に気づいていないのが現状だ。
ロシア制裁が突きつけた「決済主権」の問題
この危機感が一気に高まったのは、2022年のロシアへの制裁がきっかけだった。西側諸国がロシアをVisaとMastercardから遮断した結果、ロシア国内の決済は即座に混乱した。ヨーロッパの政策立案者たちは当然の疑問を抱いた。「もしアメリカが何らかの理由でヨーロッパのアクセスを制限したらどうなるのか?」と。
しかし、この問題は地政学的リスクに限った話ではない。手数料の面でも、VisaとMastercardは欧州の加盟店に対して高額なインターチェンジフィーを課してきた。データ主権、経済主権、そして安全保障の三つの観点から、欧州独自の決済インフラが求められているわけだ。
Weroの仕組みと対応状況
Weroは、EPIが開発したデジタルウォレットで、ユーザー間の送金やオンライン・店頭での支払いに対応する。最大の特徴は、取引データがすべてヨーロッパ域内のインフラで処理される点だ。VisaやMastercardのネットワークを一切通らない。
2026年2月時点で、EPIとEuroPA Allianceが画期的な合意を締結し、13カ国・1億3,000万人以上のユーザーをカバーする汎ヨーロッパ決済ネットワークの構築が本格化した。ドイツ、フランス、ベルギーではすでにサービスが開始されており、個人間送金から対応を広げている段階だ。
日本への示唆:決済データの行方を考える
日本でもキャッシュレス決済が急速に普及しているが、その裏側で決済データがどこに流れているかを意識する議論は少ない。PayPayやLINE Payといった国内サービスが存在する一方で、国際ブランドへの依存構造はヨーロッパと共通する部分もある。
一方で、ヨーロッパの動きは単なる「脱アメリカ」ではなく、デジタル主権の確立という大きな文脈で理解すべきだ。データの流出先をコントロールできなければ、経済安全保障の面でも脆弱性を抱えることになる。Weroの成否は、他の地域にとっても重要な先行事例となるだろう。
Weroが直面する課題
もちろん、課題もある。VisaとMastercardは数十年かけて築いたグローバルネットワークと加盟店基盤を持っている。Weroがこれに匹敵するには時間がかかる。また、13カ国間の規制や銀行システムの違いを乗り越える技術的なハードルも小さくない。
しかし、ユーザーにとって使い勝手が良く、手数料が低く、データが安全に保護されるなら、切り替えのインセンティブは十分にある。ヨーロッパの消費者が「どのネットワークを通って決済されるか」を選べる時代が近づいている。
まとめ
Weroは、ヨーロッパが決済インフラの自立に向けて踏み出した具体的な一歩だ。24兆ドル規模の市場を握るVisaとMastercardに対する挑戦は簡単ではないが、地政学的リスクとデータ主権への意識の高まりが追い風となっている。2026年は、ECB主導のもとでWeroの拡大が加速する年になりそうだ。