「考えるだけでカロリーを消費する」は本当か

プログラマーやエンジニアなら、長時間のコーディングセッション後にぐったりした経験があるのではないでしょうか。あの疲労感から「頭を使うとカロリーを消費する」と思いがちですが、実は科学的にはほとんどカロリーを消費していないことが分かっています。

脳は体重の約2%しかないのに、安静時の全エネルギーの20〜25%を消費する非常にコストの高い臓器です。しかし、そのエネルギーのほとんどは基礎的な維持活動に使われています。860億個のニューロンの電気的活動を維持し、シナプス結合を保ち、意識を保つための「アイドリングコスト」が圧倒的に大きいんですよね。

Scientific Americanの解説によると、集中的な認知タスク中の脳のグルコース消費量は、ベースラインからわずか5%程度しか増加しません。1日中必死に考え続けても、追加で消費するカロリーは100〜200kcal程度。バナナ1本半くらいの量です。

ではなぜあんなに疲れるのか

カロリー消費が少ないなら、なぜ長時間のプログラミング後にあれほど疲弊するのか。ここが面白いポイントです。

最近の研究では、認知疲労の正体はグルタミン酸の蓄積にあることが示されています。2022年にCurrent Biology誌に掲載された研究では、長時間の認知作業後に前頭前皮質にグルタミン酸(興奮性神経伝達物質)が蓄積することが磁気共鳴分光法で確認されました。

つまり、脳のエネルギー消費量が問題なのではなく、神経伝達物質の「ゴミ」が溜まることで脳の機能が低下しているわけです。これは筋肉に乳酸が溜まるのと概念的に似ていますね。

認知疲労がエンジニアの生産性に与える影響

ここからがエンジニアにとって実用的な話です。認知疲労は次のような形で生産性に影響します。

まず、意思決定の質が低下します。疲労した状態では、複雑なアーキテクチャの判断やコードレビューの精度が明らかに下がります。AIコーディングエディタが生成したコードを適切に評価する能力にも影響が出るでしょう。

次に、注意の切り替えコストが増大します。コンテキストスイッチのたびに失うフロー状態を取り戻すのに、通常なら15〜20分かかると言われていますが、認知疲労下ではこれがさらに長くなります。

さらに興味深いのは、運動パフォーマンスへの影響です。認知疲労が蓄積した状態でワークアウトをすると、同じ運動でもきつく感じるという研究結果があります。知的労働の後にジムに行く気がしないのは、意志の弱さではなく神経科学的に説明できる現象なんですよね。

認知疲労を管理するための実践的アプローチ

完全に避けることは無理ですが、うまく管理することは可能です。

ポモドーロテクニックの科学的根拠。25分作業・5分休憩というサイクルは、グルタミン酸の蓄積を定期的にリセットする効果があると考えられています。個人的には50分作業・10分休憩くらいがフローに入りやすいと感じていますが、これは人によりそうです。

タスクの種類を切り替える。同じ種類の認知タスクを長時間続けるより、コーディング→ドキュメント作成→コードレビューのように種類を変えることで、使用する脳領域が分散され疲労が軽減されます。

午前中に重い判断を集中させる。コードのアーキテクチャ決定やデバッグなど認知負荷の高いタスクは、グルタミン酸が蓄積していない午前中に行うのが効率的です。午後はClaude CodeのようなAIツールの支援を受けながらの作業が向いているかもしれません。

AIツールは認知疲労を軽減できるか

AIコーディングエージェントの普及は、エンジニアの認知疲労にどう影響するのでしょうか。

一方では、定型的なコード生成やボイラープレートの作成をAIに任せることで、認知リソースをより重要な判断に集中させられるメリットがあります。これは認知疲労の軽減に直結するはずです。

しかし他方で、トークン不安の記事でも触れたように、AIの出力を常に検証し続ける作業自体が新たな認知負荷になっている側面もあります。

結局のところ、AIツールは「脳の省エネモード」を実現する手段として有効ですが、使い方次第では逆に疲労を増やす可能性もあるということです。

回復に必要なのは睡眠

グルタミン酸のクリアランスは主に睡眠中に行われます。NIHの研究でも、十分な睡眠が認知機能の回復に不可欠であることが繰り返し報告されています。

「今日中に仕上げなきゃ」と夜遅くまでコーディングするよりも、早めに寝て翌朝フレッシュな状態で取り組む方が、トータルの生産性は高くなることが多いと感じています。もちろん締め切りがある場合は別ですが、慢性的な睡眠不足はコードの品質にダイレクトに影響します。

知的労働者にとって、脳は最も重要なツールです。そのメンテナンスを怠らないことが、長期的な生産性を支える基盤になるのではないでしょうか。