ChatGPTやClaudeで文章を書く。校正する。要約する。2026年、こうした使い方はもはや日常になりました。しかし、AIアシスタントに文章作成を委ねるほど、人間自身の「書く力」が静かに衰えていくのではないか——この懸念が、開発者と作家の両方から上がり始めています。

歴史家でありUC Santa Cruz教授のBenjamin Breen氏が公開した「What is happening to writing?」というエッセイが、Hacker Newsで大きな反響を呼びました。ソフトウェア開発における「認知的負債(Cognitive Debt)」の概念を文章作成に適用し、AIがもたらす知的能力の変容を考察した内容です。

認知的負債とは何か

「認知的負債」は、MITの研究者がChatGPTを使ったエッセイ執筆の認知コストを分析する中で生まれた用語です。AIに繰り返し頼ると、神経結合の弱体化、記憶想起の低下、高次認知機能の減退がEEG脳波スキャンで測定可能なレベルで確認されたと報告されています。

ソフトウェア開発の世界では、Simon Willison氏がこの概念を紹介して注目を集めました。「プロンプトだけで新機能を実装する実験をしていたら、自分のプロジェクトの中で迷子になった」という体験談は、多くの開発者に共感を持って受け止められています。

「AIスロップ」が好まれるという不都合な事実

Breen氏が特に懸念しているのは、AI生成文章が嫌われるどころか「好まれている」という現実です。完璧なフォーマット、すぐに出てくる統計データ、豊富な分量、明るいトーン、そして「〜ではない。〜なのだ」という対句表現。こうした特徴を持つ文章がSNSで拡散されやすいという事実は、人間の文章表現にとって深刻な問題を投げかけています。

Martin Amis氏の言葉が引用されています。「スタイルとは後から塗るものではない。知覚に埋め込まれたものだ。その鮮度を欠いた書き手に、何を求めるというのか」。個性ある文体は長年の読書と執筆から生まれるものであり、プロンプト一つで再現できるものではありません。

開発者も直面する同じ問題

Breen氏は「最近、ソフトウェア開発者に深い共感を覚える」と書いています。自分が得意とし、相対的に希少で価値があったスキルが突然コモディティ化する体験は、作家もプログラマーも同じだからです。

Andrej Karpathy氏も「手動でコードを書く能力が徐々に萎縮し始めている」と述べており、Vibe Codingの普及とともにこの問題は加速しています。Claude CodeのようなAIコーディングツールの中毒性は、スロットマシンのようなドーパミンの急上昇を伴うと、Breen氏は指摘しました。

AIに置き換えられない「ネガティブスペース」

一方でBreen氏は、AIが到達できない領域も明確に示しています。歴史家として教区教会の地下室で洗礼記録を読み、非デジタル化された資料を掘り起こす作業。教室での対面討論。これらの身体性を伴う知的作業は、現在のAIモデルがどれほど進化しても代替が困難です。

「テクノロジーの変化速度と社会の変化速度を混同している」という指摘も印象的でした。1890年代のフランスで想像された2000年の機械教育は実現していませんし、2026年の教室ではいまだに黒板とチョークが使われています。

「書くこと」の本質的な価値

Breen氏のエッセイの結論は、書くことの本質に立ち返るものです。「書くことは思考の特殊で不可欠な形態であり、孤独な知覚と労働から鍛えられ、読む公衆に対して試される」。AIがどれほど巧みにカスタマイズされたコンテンツを生成できるようになっても、この「孤独と公共性の融合」は再現できないと論じました。

AI技術の急速な発展の中で、人間にしかできない知的作業とは何かを問い直す必要性は高まるばかりです。認知的負債を自覚し、「自分の手で書き、考える」習慣を意識的に維持することが、これからの時代を生きるうえで重要になるのではないでしょうか。

まとめ

AIの文章生成能力が向上するほど、人間の「書く力」が問われる——一見逆説的ですが、認知的負債の研究はこのリスクを科学的に裏付け始めています。AIを便利な道具として活用しつつ、自ら考え書く力をどう守るかは、開発者にとっても作家にとっても共通の課題と言えるでしょう。

Benjamin Breen氏の元記事はRes Obscuraで読めます。MITの認知的負債に関する研究はarXivで公開されており、Simon Willison氏のAI開発における認知的負債の考察は氏のブログが参考になります。